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絶滅収容所アウシュヴィッツで考えたこと

                  認定ヨーガ療法士 小沢アヤ子

今から30年以上前に、ヨーガ教室の生徒さんの一人が1冊の本を持って来て『母からこの本を読むようにと言われたけど、難しいので先生にあげます…』と。それは、霜山徳爾氏の訳されたフランクル著作集1「夜と霧」でした。

しかし、その本を手にした私も、最初の「解説」の部分を読んだだけで難しく、暗くて、気分が悪くなりそうな内容だったので本棚の隅に納め、そのまますっかり忘れていた。 その後、YIC講座の受講中に、木村慧心先生が講義の折々に参考になるお話と共に推薦図書なども紹介して下さっており、「弓と禅」や「夜と霧」を紹介頂いた時も『あれ?聞いたことある本のタイトルだな…』と思い自分の本棚を探したら、2冊ともありました。

 

「弓と禅」も、「夜と霧」も、木村先生のヨーガ的解説も相まって何とか読むことができ、特に「夜と霧」は、アウシュヴィッツ強制収容所で起きたことのほんの一部ではあるが知ることができたと思う。どちらも永遠のロングセラー、ヴィンテージものの本であるとのことで、再度手に取り読むことができたのは幸いでした。その後、私は密かに機会があったらアウシュヴィッツに行ってみたいと思っていた。

 

この度(2016年9月22日)、アウシュヴィッツ強制収容所を視察する機会に恵まれた。実際にそこに身を置いた時、広大な収容所の敷地や整然と並ぶレンガの建物から発せられている静かなメッセージを感じた。思わず寡黙になり感覚の働きも止まり本を読んだ時とは全く違った感じを覚えた。そして、恥ずかしながら「何も知らなかった!…と約70年前の第二次世界大戦中に起きたナチスの強制収容所で行われた大量虐殺という程度のことしか知らなかった!」というのが本当のところだった。

アウシュヴィッツ視察から帰り何冊かの本を読んだ。そこで行われた残酷極まりない非人道的諸行を、これでもかと言うほどに書かれている本も、今回は辛抱強く読んでみた。

 

しかし、どの本を読んでも、「なぜにこんなことが起きたのか?」「人間は、どうしてこうゆうことをするのか?」ということばかりが頭の中を堂々巡りした。そして、「周りの国々はこれを止めることが出来なかったのか?」とも。卑近な例で申し訳ないが、学校でいじめに遇っている子がいて、周りのみんなもそれを知っているのに、かばおうとか助けようとしないうちにその子がいじめ殺されたり、耐え切れずに自殺をしてしまうということがある。

 

キリスト教のローマ法王ですら近年やっと第二次世界大戦時のナチス・ドイツの愚行に対し見てみぬふりしていたことを反省し謝ったことが新聞に載っていた。 私は、アウシュヴィッツやビルケナウの強制収容所跡を「なぜ?」「なぜ?」と呟きながら歩いていた。

こんなところでマクシミリアン・コルベ神父の大きな写真(看板)を目にした時は、ほっとして心が和んだ。誰しも自分の命を守り生き延びようとあらゆることをしている収容所の中で、一人の人の身代わりになって自分は死んで行ける気高い人がいたのだ。

 

かつてここで行われたむごく残虐な行為、残された当時の写真、遺品の膨大さ、犠牲者の苦しみ、痛み、叫び、飢え、乾き、怒りと悲しみ、恥ずかしさ、無念さ…どれをとっても心の痛みを感じずに見られないものばかりであった。 しかし、そこには、毒ガスのチクロンBで苦悶しつつ殺された人々の死体もなく、折り重なった死体から流れる血肉と糞尿がないまぜになって腐っていく臭いもなく、死者を焼く煙も今はない。そして、心ならずも死体処理の作業を強いられ、心身共に無感覚にして働かざるを得なかった人達のやり場のない怒りと苦悩を想像すると胸が苦しく、トラウマなどと言う言葉では片付けられない理不尽さと不条理さに満ちていた。

 

アーロン・アントノフスキー氏(当時 イスラエルのベングリオン大学・社会学者)が心理テストSOC(Sense of coherence)を作るきっかけとなったという1970年代イスラエルで実施した調査研究[強制収容所を体験した人々のアンケート]では29%の方々がその後も健やかな人生を送ったということだが、にわかに信じられなくなったほどであった。 また、「自分の心の持ち方を変えれば人生が変わる」とか「自分が変われば世界が変わる」というような肯定的な言葉の連呼も軽薄で口幅ったいことのように思えてしまった。 もし、私がその当時ここに居てあの地獄のような体験をしたならどうであったか?恐怖に震え上がり阿鼻叫喚のまま狂ってしまうかもしれないし、そんな環境への適応努力もおぼつかないと思う。ましてや「人生の意味」「生きることの意味」「希望」「未来」を思えるかどうか?自信はない。

 

ただ、あの広い自然の中で、悲しいほどに美しい蒼穹を見上げた時、「夜と霧」の中で、沈む夕陽が美しく誰ともなく声をかけ合い、沈みゆく真っ赤な太陽に感動して立ちつくしたというエピソードは、「人間の心の自由さだけは奪えない」という証明であろう…などと考えながら3時間余りの見学を終えた。

 

 

今、そこはきれいに整えられ、一日何万人もの人々が見学に訪れているが、荒涼として静けさに支配されている。(※見学者は、年間140万人以上、日本人は年間1万3千人) アウシュヴィッツは今もある。世界中にある。日本の身近なところでもある。毎日のように報道される尊属殺人、さまざまな虐待、子供から大人までのいじめ、チェリノブイリや福島の原発事故や経済優先のブラック企業も人間がしでかしてること。 誰でも争い事は嫌いだ、戦争はいやだというが、欲望、自己中心の想い、嫉妬心、敵愾心、マイノリティーに対する偏見、差別意識など不健康な心が潜んでいる限りアウシュヴィッツは無くならないと思う。

 

目の前で理不尽なことが行われているのに「傍観者」で見てみぬふりをするかもしれない心の闇を抱える自分がいる。人間とは何か?人生とは何か?幸せって何?と改めてギヤーナ・ヨーガを考え、「人が健康である」ことの本当の意味を確認させられた旅であった。

 

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