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ウパニシャド聖典に何が書かれてあるの?


 先ほどお話した『古ウパニシャッド聖典』の中に「白いラバの仙人のウパニシャッド」というへんてこりんな名前の付いたウパニシャッド聖典があります。ち なみにこのウパニシャッドというインドの言葉は、日本語に訳す時には「奥義書」と訳します。この「白いラバの仙人のウパニシャッド」と名付けられている奥 義書の名前の由来は、あくまでも私の想像ですが、突然変異して白い身体を持ったラバ(馬とロバのかけ合わされた一代限りの生き物。性質がおとなしく、しか も強いので今でも山間部で荷役に使役されることが多い)を飼っていた仙人さんか、またはその仲間の修行者さんたちの間に伝えられていた奥義を書いた本だっ たかもしれません。インドでは白い象が寺院で飼われていますし、日本でも白い馬が神社で飼われていることがありますが、白い色の生き物は神聖視されるとい う伝統が現在でもあるくらいですから、三千年前のインドでもそうだったのかも知れないなと、私などは想像しているのです。
この奥義書の第二章8節には、世界でも最も古い言葉の一つであるサンスクリットという文字で次のような意味の言葉が書かれています。
「身体の三部位(胸と首と頭)をまっすぐにさせて胴体を直立に保ち、色々な(眼や耳などの)感覚器官と心とを心臓内に収めて、賢い人間は大いなる神様を船 のようにして恐怖の原因たる(人生の)激流のすべてを渡らねばならない」  (シュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド第2章8節)
 その後の10節にも次のように書かれています。
「賢い人間は次のような場所でヨーガを修行しなさい。清潔で平らな場所。火の気がなく、石などがごろごろしていない場所。景色が良く、心地よい水の流れが 聞こえて、思索に適した場所。目障りなものがなく、風にも邪魔されない、静かな洞窟の中でヨーガを修行しなさい」
(シュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド第2章10節)
 

胴体をまっすぐにさせて、平らな地面の上に静かに座っている人物の姿は、現代の禅の修行をされているお坊さんの姿を想像させます。3千年も前にすでにイ ンドでは静かに座る人たちがいたことが分かります。「心を心臓内に収め」と言うのは、自分の意識を心の内側に向けて働かせると言うことです。つまり、深い 自己分析をしたり、祈りをしたりするということです。
 今から2500年前に生まれたと言われているお釈迦様も、菩提樹の下で同じように座られたと言われて います。ま

た、今から2千年前に生まれたと言われていますイエス・キリストさんも、イスラエルの荒れ野で数十日間も断食しながらお祈りしたと言われています。現在でも賢い人たちは自分の考えを深めるために思索にふけり、静かに瞑想しますが、白いラバを飼っていた人たちも(多分ヒマラヤの)山の中の静かな場 所で、静かに座って考えを深める暮らしをしていたのだと思います。そう言えば仙人という言葉自体も「山」の「人」と書きますから、インドでは山にこもって考え事をしていた人たちがはるか昔からいたようです。そして、そうした人たちは「大いなる神様を船のようにして恐怖の原因たる(人生の)激流のすべてを渡 る」のだとも書かれています。
 この、神様に思いを向け続けていられる人たちは非常に強い生き方ができます。それは今世紀にインドのカルカッタの町で尊いボ ランティア活動に身を捧げていたマザーテレサさんの生き方からもよく分かることです。私の知人がマザーテレサさんのもとにお手伝いに行った時のことを聞か せてくれましたが、テレサさんは当時すでに80歳をこえていて、しかも重い心臓の病を抱えて入退院を繰り返していたにもかかわらず、毎日行列を造るほど集 まってくる沢山の人たちの相談にのっておられたと言っていました。
あの暑さと湿気のひどいカルカッタの町にいるだけで私たちはグッタリと疲れてしまうの に、テレサさんのあの小さな身体のどこにそんな大きな力が潜んでいるのかと不思議に思うほどの生き方だったそうです。まさにこの奥義書に書かれているよう に「静かに祈り、自分の考えを深められる賢い人間は、大いなる神様を船のようにして恐怖の原因たる(人生の)激流のすべて」を渡れるのだと思います。

これ がインド古代の奥義書に書かれてある人生の秘訣です。テレサさんはまさにこの秘訣通りの生き方をされていたのですから、驚嘆に値するほどの力を発揮できた ばかりでなく、自分自身の人生の激流を上手に渡りきると同時に、多くの問題を抱えて激流に押し流されそうになっていた人たちにも、助けの手をさしのべられ るほどの力さえ発揮できたわけです。
ヨーガの古い聖典には以上のような極めて実践的な教えが説かれているのです。上に紹介した絵は、そんなヨーガ行者さんの暮らしぶりを想像させてくれるも のです。ここでは自然死したトラの毛皮を地面の上に敷いて、小さな庵の前でお祈りしているヨーガ行者さんが描かれています。

その姿からは平安な波動が出さ れているせいか、野生の子鹿も恐れることなく近づいてきています。
 現代のあわただしい日本に生きる私たちには、こんな生活が送れるはずもありませんが、それでも家の中でも静かに祈れる場所はあるでしょうから、できたら そうした静かな時間を持ちたいものです。ヨーガの奥義書には、そうした生き方をしている人物には次のような変化が生じて来るとも書かれています。先ほど紹 介した「白いラバの仙人のウパニシャッド」では続いて12節と13節にこんな事も書かれています。

 

「身体の中にヨーガの特別な性質が現れると、その賢い人間はヨーガの火の身体を手に入れたのであり、その者は病気にかかることもなくなり、老化もせずに死 ぬこともなくなる。このヨーガの特別な性質が現れると、その人の身体はまず、軽くなり、その身が健やかになり、落ち着きが生じ、顔色も清らかになり、声も 心地よいものになり、身体からも良い香りがするようになり、排泄物も少なくなる」(シュヴェタシュヴァタラ・ウパニシャッド第2章12,13節)


 死ぬことがなくなるというのは、少しオーバーかも知れませんが、それにしてもヨーガの行者さんたちがいかにも元気に生きられるその姿が、この12と13 節から想像されます。読者の皆さん方も、日々医学の世界でお仕事をなさっておられる専門家なわけですから、ヨーガでどの様にしてそんな元気さが得られるの かと疑問に思われるでしょう。今から76年前にも、そんな疑問を持ってヨーガを現代医学の立場から研究してみようと考えた一人のインド人がいました。

 

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